諸事情により、「世界の演出」サイトは上記リンクに移行致します。
http://sekainoensyutu.tumblr.com/
よろしくお願い致します。
>ABOUT
5月26日(土)13時―21時(出入り自由)
受付第1会場=YAOMON(京都市上京区今出川通寺町西入ル革堂内町522)
(第2会場/第3会場は当日受付後にご案内します。)
事例紹介者
・岸井大輔(劇作家/PLAYWORKS 代表 http://playworks.me/ )
・北澤潤(アーティスト/北澤潤八雲事務所 代表 http://www.junkitazawa.com/ )
・後藤大輝(映画作家/BUNKAN ディレクター http://daitenkai.tumblr.com/ )
・羽鳥嘉郎(演出家/けのび http://kenobi.org/ )
ほか
(プロフィール写真クリックでも事例一覧に飛びます)
参加費:2000円(+1drink)
お問合せ:co.playworks@gmail.com
助成:公益財団法人セゾン文化財団
—
Twitter / @fukudanaoyo: 愛する人の故郷を知れば、地名の文字配列を並べ替えて植 … (via hatoriyo)
見立てではなくて、複数の集合を貫く可能性を持つ(あるいは強く)ということが肝要なのです。
参考: http://thedirectionoftheworld.tumblr.com/post/19784606767
クロード・シモンの言葉を借りれば、「《それがどういうふうであったか》を知ることは私にはできなかったわけなので。」
例えば、個の体についても、情況についても、もうその時点から《それがどういうふうか》が把握される・されうる、複数の集合を貫きながら。
羽鳥嘉郎 事例4-5
(via hatoriyo)
「豊かでも、それを共有できる他者とともにつくテーブルがなければ、幸福ではない。愚痴っぽい豊かな人達に、どうしたら、その実感をもっていただき、維持するモチベーションをもたすことができるのか。」
岸井大輔 事例4-5
今こそ、表現媒体として「人間集団」を考えるべきだ。理由は3つある。まず、今の若手表現者の素材の中心が集団となっているように感じる事。次に、個性か関係性かという長年続いた堂々巡りを解決できる可能性があること。最後に、表現をよりよくする基準となりえること。
集団は表現媒体になりうる。例えば阪神タイガースは、試合や個々の選手とは関係なく、阪神タイガースというチームそのもので何かを表現している。だから阪神ファンはメンバーが入れ替わっても阪神ファンである事をやめない。で、たとえば、チンポム・渋家・快快・わくわく・カオスラウンジなど、最近の若手表現者集団の面白さを考える場合も球団同様と見える。個々メンバーや作品やプロジェクトは副次的とみていいんじゃないか。ファンは、集団そのものについている。だから、彼らは作品とか活動とか個性ではなく、集団のあり方で評価や批評がなされるべきだ。
作家性という概念は、使い勝手が悪化し続けている。個人による表現という考えは神話にすぎないと見なされるため、ある作品を作家の視点から論じようとするとエクスキューズが必要になってしまうからだ。代わりに使われる考えが、他者との関係性だろう。差異・交通・インターメディア・郵便・顔など、そのために流行った言葉は多い。ただ、関係性そのものは鑑賞が困難であり、愛着を引き起こしにくいためか、作品の流通は相変わらず作家の名前に担われる。で、また、個性概念が復活してしまう。「集団性」は、個性と関係性の、弁証法的解決と見ることができる。集団を問題にするならば、個性というフィクションについての検討はいらない。しかし、関係性と違って愛着を引き起こすことはできる。
フルクサスとか暗黒舞踏の草創期のネットワークを想起される方もいるだろう。青騎士とか。しかし、彼らは、一人一人の作家や作品が主であり、集団を魅せることは従だった。上記の若手団体は逆に見える。個人という近代的な限界を突き破るために集まった個性的な人達の時代が終わり、ついに、個人から始めない集団が現れはじめたんじゃないか。さらにいえば、集団性の鑑賞はエクザイルやAKBやワンピースを挙げるまでもなく、現代日本では基本的な営為だ。さらにいえば、ローカリティとか風土とかいわれているものを、作品のように鑑賞可能なものとして扱う事が出来るようになるだろう。集団を考えることは表現の新たな未来を切り開くと言える。
芸術の営業の仕組みは、従来のアートの枠組み、すなわち、個々の作家や作品に注目する方法をでないことが多い。その圧力が、集団を表現媒体とする才能を弱らせる。今後も、表現の本質が、集団のあり方であるような表現は増えそうだ。ので、早急に、それらを説明し評価する言葉を生み出す必要があるだろう。批評家なり助成金の審議会なりが、集団性のディスクールを整備することを訴えたい。所属しているメンバーが、風評に促されて、集団を媒体とすることを捨て、個人の活動を中心にし始める前に。
岸井大輔 事例4-3
まちの中とか、人間の間で起きる事は、常に流れていく。良い流れであること、あるいは良い流れにすることこそが大事だから、そこで起きたことは全て消え去ってもいいと僕(岸井)は思う。しかし、現場にいない人、例えば遠くにいる資金提供者や未来のプロジェクト関係者に起きたことを示したい時、記録を残す必要があるだろう。( そこまでは良い。)で、記録を検索閲覧伝達しやすいように、分類し整理し編集するだろう。このときの分類軸、整理軸などの基準が必要だ。基準をどうするかで、全く違う記録集ができる。
キュレーターのMさんが言っていたキュレーションの区別。いくつかの作品・作家群を、キュレーターが「串」でまとめるのか、「ワッパ」で囲うのか。「串の方が自由度があるので、一人一人が自由にあちこち行く。ワッパの方が、傍から見てわかりやすいようだ。」
岸井大輔 事例4-1
5/25 19:00-21:30
学校の授業のとき、しばしば/おおむね「指導案」というものが教職員によって作成されます。
そこには、どのような意図において・どのような内容が・どのような順に・どのような手段で・どのような評価で指導されることになるかが、できる限り細かな想像を伴って記されています。
いつか行われるかもしれない、行うかもしれない授業の指導案を書いてみる。
どんな教科になるか、能力が養われるようなものなのか、体験に重きをおくものか、わからなくても。
…
羽鳥嘉郎 事例4-1
http://www.bunkan.com/blog/wp-content/uploads/2012/03/omote.jpg
墨田区京島にある「爬虫類館分館」という建物。
ここの飲食スペースの2周年記念スタンプラリー。
全18拠点/スタンプ26種/合計42スタンプを、県を跨ぎ集めるという超難関ゲームとして企画された。全スタンプコンプリート者無しという当初予想を裏切り4名もの達成者が生まれる驚きの祭事となった。5/19に景品抽選会を行う予定である。
後藤大輝 事例1
身体教育研究所は「他者と共に動く身体」を研究し、それを育む場として活動する体育団体です。個人としての身体を対象とせずに、関係性としての身体に目を向けた新しい体育の実践を試みています。
公開講話とは、初心者及び未会員の方々を対象とした稽古会です。当研究所が提唱する身体観や身体技法を多くの方に紹介するために開催されています。
後藤大輝 事例3
先駆村「雄勝神輿再興プロジェクト」
筑波大に在籍している藤原信也が山主から広大な土地を託され企画した「先駆村」。
やりたいことは様々。有機農業、稲作、果物、陶芸、養蜂、畜産、建築、すっぽん、鯉、養蚕、露天風呂・・・そんな村からはじめに生まれたものは「神輿」でした。
村長:藤原信也の神輿制作が展開して実行された「宮城県石巻市雄勝町の神輿復興計画」。
テキストによる物語の一部始終と映像
http://goo.gl/qlCmJ
後藤大輝 事例5
カフェを経営したいけど仲間がいない、
場所がない、お金がないという人のために、
1階部分をカフェ兼リビングにできるシェアスペースをオープンします!!
今からなら、壁紙や床も選べる!
家具もみんなで相談して買いにいったり寄せ集めたり作ったりしよう。
後藤大輝 事例4
MIRU
2006年から芸術活動を行う作家の集まりによって表現の発信を開始。
「みる」ということを再考するため「シンプルで簡単な表現」として
「1分1カット(ノーカット)無音」という映像制作のルールを作成。
独自の作品募集と上映のイベントを国内外で多数企画。MIRUという新しい感覚の共有を広げている。
MIRU2008 プロモーション オムニバス
http://www.youtube.com/watch?v=lDDJQszBjac
MIRU×アスリート BETA版
http://www.youtube.com/watch?v=-kXyHQBPOBc
後藤大輝 事例2